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東海学生2022春季リーグ戦終了/ 準優勝

[ 2022~ 中部大学 ]

昨日、東海学生春季リーグ戦が無事終了した。結果は9戦8勝1敗で準優勝。大同大学9戦8勝1敗と同じ勝点で、並んだが8戦目の直接対決に勝利できなかったので、対戦間成績から大同大が優勝、中部大が準優勝となった。

<開幕6試合の結果>
4月13日(土) 中部大 38(16-6 22-12)18 愛知大
4月14日(日) 中部大 51(25-6 26-7)13 三重大
4月23日(土) 中部大 38(17-11 21-15)26 朝日大
4月24日(日) 中部大 37(17-9 20-12)21 愛知教育大
4月30日(土) 中部大 40(18-10 22-7)17 岐阜大
5月01日(日) 中部大 37(20-9 17-13)22 岐阜聖徳大

開幕6戦を終えて6戦全勝。5戦目、6戦目と攻守の要でもあるピサノが足首を痛め欠場。中央DFを小林&水谷の2年生コンビが必死に守りきってくれた。二人ともとんでもないプレッシャーだったみたいだけど、お互いに今できるベストを尽くしてくれた。

6戦を終えた時点で、大同大、名城大、中京大、そして中部大の4チームが6戦全勝で横一線の状態。ここからいよいよ上位チーム同士の戦い。

<7戦目、8戦目の結果>
5月07日(土) 中部大 29(14-15 15-8)23 中京大
5月08日(日) 中部大 28(12-17 16-15)32 大同大

全勝対決の一発目の中京大との一戦を粘りに粘って逆転勝利。同日の別会場で大同大が名城大を撃破。5月8日は7戦全勝同士で大同大との大一番を迎えた。大同大の勢いに押されて、苦しい展開が続き悔しい敗戦となった。他会場で名城大が中京大に勝利したことから、この時点で大同大の優勝が事実上決まった。

<最終戦の結果>
5月15日(日) 中部大 33(12-13 21-15)28 名城大

優勝が無くなり、勝てば準優勝、落とせば3位になる最終戦の名城大戦。前半は1点ビハインドで折り返したが、後半立ち上がり相手の退場機会に連続得点に成功し、一気に流れをつかみ逆転に成功。そのまま5点差での勝利し準優勝を決めた。

この結果に満足感はないが、作取監督曰く「リーグ戦を最後までやり抜けたこと自体が2019年の秋季リーグ戦以来」とのこと。

コートに立つ選手の頑張りはもちろんのこと、会場設営や映像の準備をしてくれるサポートメンバー、対戦相手やレフリーの皆さん、感染対策を徹底して安全にリーグ運営して下さった東海学生連盟の皆さん、最終日にはyoutube配信してくださった動画時代の皆さん、2022春季リーグ戦に携わって下さった全て皆さん本当に有難うございました。

ベスト7に選ばれた中島&小林の2年生コンビ。

中島は強気な姿勢で攻撃をリードし続けてくれた。まさしく切り込み隊長って感じ、ここって時に自分でケリをつけてくる姿勢が頼もしい。

小林はピサノ不在期間だけでなく9戦全ての試合で中央を守り抜いてくれた。試合前「いつも通り緊張でゲボ吐きそうです。」って苦笑いしながら、頑張り抜いてくれた。

8月の西日本インカレに向けて再スタートだ。



東海学生2022春季リーグ戦開幕

[ 2022~ 中部大学 ]

早いもので4月もあっという間に後半。4月の半ばから東海学生春季リーグ戦が開幕した。ここまで開幕4連勝とまずまずのスタートを切ることができた。

<開幕4戦の試合結果>
4月13日(土) 中部大 38(16-6 22-12)18 愛知大
4月14日(日) 中部大 51(25-6 26-7)13 三重大
4月23日(土) 中部大 38(17-11 21-15)26 朝日大
4月24日(日) 中部大 37(17-9 20-12)21 愛知教育大

新型コロナの影響で東海学生リーグをまともに経験しているのは4年生のみ。つまり彼らが1年生の時、以来ということだ。これは他大学も同様。1試合、1試合まだまだ試行錯誤を繰り返している。ハンドボールのプレーだけではなく、当日の準備や、試合前のW-up、1週間の過ごし方も含めてだ。

試合ごとにチームとして、個人としても、チャレンジングな姿勢で成長を積み重ねている真っ最中。細かな微調整をしながら、リーグ戦終盤に向けて今よりも良いチーム、良い個人になっていきたい。

初戦の愛知大にはここ暫く勝利できていなかったので、開幕戦に確実に勝利することができて本当に良かった。学生も作取監督も開幕戦に勝利して本当に嬉しそうだった。開幕戦以降も、三重大、朝日大、愛知教育大を相手に確実に勝利を積み重ねることができた。

この後、岐阜大戦&岐阜聖徳大戦とまだまだ週末の連戦が続いていく。感染症対策を徹底して、目の前の一戦一戦に全力を注いでいこう。中部大学ハンドボール部の一員としてハンドボールができることに、喜びと誇りを持って頑張っていこう。



4月8日中部大学にて

[ 2022~ 中部大学 ]

2022年度がスタートして1週間が経った。引っ越しの荷解き、長男の入学式(小学校)など家族も新しい土地でバタバタとしながら過ごしている。

2022年3月末で三重バイオレットアイリスの監督としての仕事は任期満了。3月31日に三重から愛知に移ってきた。今後の仕事は中部大学で人間力創成教育院という部署で健康科学 &ハンドボールの授業を持つこと、ハンドボール部の顧問として学生たちをコーチングをすることがメインになってくる。学生時代に一緒にボールを追いかけた作取監督と一緒に仕事ができるのは何よりも嬉しい。

4月1日から大学に足を運んで、辞令交付式、教職員総会に出席したり、授業の準備などをしながら、少しずつハンドボール部の活動にも顔を出させてもらっている。朝日大、明星大とのトレーニングゲームや、相川さんからのフィジカルトレーニング指導に励む学生たち。

明星大とのトレーニングマッチでは久しぶりに植松さんとお会いできた。その後も中部大OBの琉球コラソンを退団した小川くん、北陸電力ブルーサンダーの山城くんらが自分のトレーニングがてら母校に顔を出しに来てくれた。こういうのはやっぱり嬉しいよね。

そして昨日4月7日から通常の授業が始まった。ようやく1コマの授業を終えて、その日のハンドボール部の練習を見終わって、「こんな感じでこれから進んでいくのかなぁ」と思っているところだ。

来週末4月16日から春季リーグ戦が開幕する。5月中旬までは毎週末、公式戦が控えている。

新しい場所で、新しいメンバーで、新しい仕事ができるのは幸せなことだ。

今度はこの場所で学生と共に成長していこう。



三重バイオレットアイリスでの仕事を終えて

[ ~2022 三重バイオレットアイリス ]

2015年5月1日からスタートした三重バイオレットアイリスでの仕事も2022年3月31日で一区切り。三重国体に向けて7シーズンの契約期間だったが、新型コロナの影響で三重国体も中止になってしまった。全く予想もしていない結末だった。

1年目と7年目にプレーオフを逃した悔しさは今も鮮明に覚えている。2年目に初めてプレーオフを決めたこと、そこから5シーズン連続であの舞台に立てたことはいい思い出だ。しかし、あの舞台で勝てずにこの仕事を終えることは残念で仕方がない。

1年目に飛騨高山BB岐阜戦に引き分けて、プレーオフを逃した。その1週間後にホームでHC名古屋戦を控えていた。プレーオフを逃した後の1週間の準備は本当に難しかった。でもこのHC名古屋戦を落としたらこの1年目の取組み全てが水の泡になるって思っていた。ここで負けたらこのクラブが駄目になるって思って、とにかく必死だった。プレーオフを逃してもぬけの殻になってしまった選手が何名かいて、練習を途中でやめたこともあった。もう2度とこんな想いをさせないって心に誓った。

2年目、壮絶なプレーオフ争いの末、最終戦に勝利して悲願のプレーオフを決めることができた。初出場&初優勝を狙ってのプレーオフはクラウドファンディングで多くの人に支えてもらってバスで熊本まで行った。これまた懐かしい。

3年目の途中からは多くの人に支えてもらって日本代表コーチを兼任しながら三重バイオレットアイリスの仕事を続けるようになった。世界選手権、東京五輪など世界の最前線を経験させてもらった。

シーズンインまでの準備期間に殆どチームにいなくて、代表活動を終えてチームに戻ってきたら直ぐに日本リーグが控えている。何が何でもプレーオフってのだけ頭にあって対戦相手の分析して、練習メニュー考えてってズッと何かに追われている感じだった。プレーオフが終わると、直ぐに次年度の年間スケジュールを立てて、直ぐに代表活動が開始するそんな数年間だった。まあ、この仕事をしているとそんなもんだ。

最後の2年(6年目、7年目)は新型コロナの影響で東京五輪が延期になり、前述の通り最大のターゲットでもあった三重国体が中止になるなど、予想もしていない2年だった。チーム活動が出来なくなったり、練習場所がなくなったり、外で練習しすぎてみんなで真っ黒に日焼けして久しぶりに集まったり、それでも多くの方に助けてもらってハンドボールを続けることができた。

選手もスタッフも一つの勝利のために一丸となって戦った日々。勝利の喜びも、負ける悔しさもみんなで分かち合って歩んできた。シューターズの応援を背に闘うホームゲームは本当に重たくて、でも最高にエキサイティングな時間だった。本当に最高だった。

福井から僕と妻と愛犬、2人と1匹で鈴鹿に来て、長男も次男も鈴鹿で産まれて、愛犬は去年の夏に亡くなった。今度は家族4人で鈴鹿を旅立つ。この7シーズン、ただひたすらにハンドボールに没頭させてくれた家族には心の底から感謝している。最後のシーズンに長男が幼稚園の友だちを誘ってホームゲームの応援に来てくれるようになったのは良い思い出やなぁ。

この7シーズン、全身全霊でハンドボールをやってきた。本当に狂気に近いくらいハンドボールのことばかり考えて時間を費やしてきた。数えきれないくらいの失敗談が詰まった7シーズン。個性豊かな選手たちと専門性の高いスタッフたちとこのクラブでこの仕事ができて本当に最高やったなぁ。

三重バイオレットアイリスに関わる全ての皆さん、本当に本当に有難うございました。



2019年度末と2020年度始めの話。

[ ~2022 三重バイオレットアイリス ]

昨日3月31日2019年度が終わり、本日4月1日から2020年度が始まる。

2020年2月27日以降、一ヶ月以上チーム全体でのハンドボールは行われていない。この一ヶ月の事を書き残しておこうと思う。

新型コロナウイルスの影響を受け、2月29日、3月1日の日本リーグの最終週2試合と3月13^15日のプレーオフは中止が決定し何とも言えないシーズン終了だった。この頃は、まだどこかで対岸の火事的な思いが自分自身にもあった。「そこまでする必要があるかな?」と当時は考えていたのかもしれない。

レギュラーシーズン最終週2試合に勝利していれば、MVIとしては過去最高位の3位に入る事ができた中でのレギュラーシーズン終了になり、やりきれない気持ちで一杯だった。

3月4日にプレーオフ中止の発表がJHLからあるまではコンディションを維持しつつチームで活動していた。レギュラーシーズン最終2試合とプレーオフは中止になったが、シーズンの総括や振り返りを済ませてチームはオフ期間へ入った。(オフとは言えども、選手は当然、仕事があるので、チームでの練習が無いって言うだけだが)

シーズン途中に加入してきた大学生3名に関しては3月13日まで新シーズンへの準備と傷害予防を兼ねて基本動作修得のトレーニングを継続。またトレーニングと並行して、目標設定やバイオレットの選手としての在り方などを考えて貰う機会を設けた。

新加入選手への各種対応をしつつ、既存選手との個人面談を実施。選手からの一年の振り返りを受けての監督&コーチからのフィードバックを行なった。

引退及び移籍の意向を聞き調整に入ったり、リハビリ中の選手の職場へ経過報告に行ったり、産後からの競技復帰を果たした選手のサポートチームの皆さんとの1年の振り返りミーティング行なったり(この時期なのでWebミーティング)、新加入選手たちの4月からの雇用先企業との調整だったり、代表選手たちの取材調整だったり。何だかんだとバタバタする日々を送っていた。

そう言えば、バタバタする日々の合間を縫って、3月上旬に同じ鈴鹿市内で引越しをした。42年の人生で20回以上引越しを経験している。前の家から信号機4つの引越しなのだが、何だかんだと一ヶ月ずっと家の片付けをしている。

話が脱線した。

本来であれば3月13日から東京でプレーオフを戦う予定だったので、この時期は「本当にこれで今期終わるんだぁ」って言う、やりきった感の無い不思議な感覚を持ちながら、2019シーズンの締めと2020シーズンの準備に追われる日々が続いた。

2020シーズンの準備の中には、代表チームコーチを継続した場合(現在の業務委託契約期間は2019年5月1日から2020年3月31日)の不在期間の準備も含まれる。この頃はまだ東京五輪の延期は決まっておらず、4月以降はほぼチームに居ないことを予想しながら、MVIの2020年度の活動計画を練っていた。

それぞれのタイミングでオフをとっていた選手たちが帰省から鈴鹿に戻ってきた。新加入の選手たちの卒業式も中止やコンパクトな形式になるなど、新型コロナウイルス感染拡大の影響がジワジワと日常生活でも感じられるようになってきた。東京を中心にいよいよ日本各地で感染拡大の様子がヒシヒシと伝わってくるようになった。

そんな中、3月24日の夜に東京五輪延期の報道があった。この決定を受けて、先に東京五輪に向けて強化活動をスタートさせていた男子日本代表チームの国内合宿がストップした。

オフに入る前のMVIの計画では3月25日から自主練習開始、3月31日ミーティング、4月1日から活動開始予定となっていた。この計画に基づいて、医療スタッフに活動ガイドライン(新型コロナウイルスに対して)を準備してもらっていた。

3月31日のミーティングではチームを離れる選手(引退・退団)から挨拶の機会を設ける予定だった。もっと言えば、オフに入る前は送別会的なことを考えていたが、それも取りやめて短いミーティングに変更していた。その中で、一言だけでもチームを離れる選手からの挨拶の機会と送り出す機会を作りたかった。メディアスタッフもインスタライブなどで、引退選手を送り出す準備をしてくれていた。

30日の午前中まで上記の予定で進めていたが、ガイドラインを踏まえてチームドクターに相談し、ご指導を頂いた。その上で最終判断をし、30日の深夜に31日のミーティング中止と4月1^12日までの期間の活動停止の決定を全選手に伝えた。

3月31日には、クラブの理事及び関係各位に上記を伝え、4月1日(ついさっき)に公式HPでもアナウンスした。

「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防止対応について。」

本来であれば、チーム退団者を送り出し、インスタライブを配信していたであろう3月31日の夜にとある選手から電話があった。

「自宅で在宅トレーニングしたんですけど、みんなでテレビ電話しながら一緒にやったんですよー。こんなご時勢だけど、この様子をSNSで出しても大丈夫ですかねぇ???」

時を同じくして、梶原GMからの電話。

「櫛田さん、選手からの連絡きました?アイツら、何なんですか?最高ですよね。もうSNSに出してもいいですよね?どう思います?」

引越しして間もない家で鍋をつつきながら、ニヤニヤ顔で電話している僕、僕の側でこれらのやり取りをニコニコしながら聞いている妻と息子。

このクラブでこの選手とこのスタッフとこの仕事が出来ること、それを支えてくれる家族がいること、こんな大変な時だけど何とも誇らしい気分になった2019年度末と2020年度始めの話。



MVIの新しい歴史を作ろう

[ ~2022 三重バイオレットアイリス ]

九州遠征を終えてフェリーに揺られて鈴鹿に戻ってきた。先週末の試合結果を受けて4年連続のプレーオフ出場が確定した。

山梨での北國銀行戦に勝利した時点で10戦6勝4敗(勝点12)、その週末の東海地区での2連戦(HC名古屋&オムロン)は1勝1敗。

MVI 26-22 HC名古屋
MVI 24-26 オムロン

オムロンとの直接対決に2点差で敗戦したこともあり、この時点で順位は5位へ転落。残り4戦に全勝すれば4年連続プレーオフ出場は自力で決めることができるので全く問題なし。

シーズン途中に順位の変動はあっても、勝点だけは絶対に減らない。

とは言え、リーグ終盤のこの時期は知らず知らずのうちにプレッシャーがかかってくるものだ。

そんな中での今回の九州遠征は、どちらの試合も苦しみながらもDF &GKが粘りに粘って手堅く勝利することができた。1シーズン戦っていれば、上手くいかない試合もある。それでも負けずに、勝点を積み重ねていくことが何より大切。

MVI 21-16 アランマーレ
MVI 21-17 飛騨高山BB岐阜

14戦9勝5敗(勝点18)、これでレギュラーシーズン4位以上が確定。4年連続のプレーオフ出場である。

監督(櫛田→梶原)が代わり、主将(原→万谷)が代わり、主力選手の怪我や海外移籍もありながらも、チーム全員で掴み取った日本一への挑戦権。

とは言え、今週末もレギュラーシーズンが残っている。残り2戦に連勝すればクラブ最高成績のレギュラーシーズン3位が決まる。また一週間いい準備をしてMVIの新しい歴史を作ろう。



風林火山

[ ~2022 三重バイオレットアイリス ]

山梨での北國銀行戦に勝利‼️

MVI 32-24 北國銀行

コートで全力を尽くした選手、ベンチやコートサイドから声をかけ続けた選手、怪我で遠征に来れずに勝利を祈り続けた選手、これまで三重バイオレットアイリスに関わって下さった全ての皆さんのお陰です。

本当にありがとうございました‼️

バスに揺られて、鈴鹿に戻ってくると怪我で遠征に帯同できなかったメンバーが出迎えに来てくれた。試合会場には東京でリハビリ中の原が駆けつけてくれた。

ボールを持つのは1人、コートに立つのは7人、ベンチに入るのは16人。

怪我をしていても、ベンチに入れなくても、同じ会場に居れなくても、自分ごととして日本リーグを共に闘ってくれている仲間たちがいるってのは最高だ。

今日の勝利は本当に嬉しい。しかし、まだ何かを成し得たわけではない、次のHC名古屋戦は本当に大事に試合になる。

自分たちの試合(今日の北國銀行戦)の映像を見直し、先に進めてあった次戦(HC名古屋戦)の分析映像と照らし合わせる。

明日は練習は休み(とは言え日中、選手は出勤)。2日の準備期間でどう備えるか。コンディションを整え、頭と心をクリアにして、本番へ。

毎試合この繰り返し。これまでと変わらず、目の前の一戦に最善の準備をして全力を尽くそう。



日本リーグ一巡目終了。

[ ~2022 三重バイオレットアイリス ]

熊本での世界選手権を終えて、約一ヶ月半。世界の列強と対峙した瞬間はもう遥か昔のように感じる。

アルゼンチンとの開幕戦、9,100人の観客には心が震えた。予選ラウンドを突破して、メインラウンドへ。モンテネグロ戦の当日、監督のウルリクが「ここからが本番だ、勝利するためにFOCUS‼︎」とスイッチを入れ直し一段階ギアを入れた。オレンジ軍団オランダが初優勝で大会の幕を閉じた。

2019年12月中旬に鈴鹿に戻り、年末の日本選手権を経て、2020年1月5日から今期の日本リーグが開幕した。2/1、日本リーグの一巡目を終えた。現在8戦5勝3敗(勝点10)。

MVI 23-27 SONY
MVI 26-20 HC名古屋
MVI 22-27 北國銀行
MVI 29-28 オムロン
MVI 34-23 アランマーレ
MVI 29-24 大阪ラヴィッツ
MVI 21-22 イズミメイプルレッズ
MVI 34-19 飛騨高山BB岐阜

シーズン開幕前、開幕後の怪我による戦線離脱や海外移籍などもある中で、試合を重ねる毎にチームとしての戦い方が整いつつある。 監督が示すゲームプランに則った中で、自分の役割を理解してプレーする事は大切だと改めて感じている。

怪我してコートに立てなくても、鈴鹿から離れていても、チームの一員として一緒に戦ってくれているメンバーがいる。ここから先はMVIに限った話でも、ハンドボールに限った話でもなく、怪我した人あるあるかもしれない。(大怪我をしないに越したことはない。)

怪我をして長期離脱すれば、チームメイトの優しさが有難い時もあれば、煩わしい時もある。チームが勝てば嬉しい気持ちも悔しい気持ちもある。そんな自分が嫌になったりもする。そんなの人間なんだから当たり前だ。

それでもチームとも、怪我とも、自分とも向き合って丁寧な毎日を過ごす。その積み重ねが人としての成長を促し、自分がコートに立った時に戻ってくるんじゃないだろうか。

話が少しそれたが、MVIにとって次戦の2/9のSONY戦から2/16のオムロン戦までが一つの正念場になる。2/9^16までの8日間で4試合、SONY、北國銀行、HC名古屋、オムロンと対戦を控えている。

とは言え、1日に4試合あるわけではないので、目の前の一戦一戦に丁寧な準備をして、全力を尽くすのみである。心技体のコンディションを整えて、バイオレットらしく戦おう。

新加入の大学生3名も卒業論文&自動車の免許取得など学生生活と並行しながら、少しずつ練習や試合に合流してくれている。完全にチームに合流するのはもう少し先だが、プレーオフ争いのこの時期にチームの一員として色んなことを感じてもらうのは有意義な事だ。

クラブやスポンサー企業の意向を汲み取りつつ、本人たちの希望を聞きこれから雇用先企業の調整に入ることになる。

今期はチームマネージャー兼コーチとしてクラブに関わっている。梶原監督がタクトを振るいやすい様に、選手が自分の役割を理解して思い切ってプレーできる様に環境を整え、1つ先、2つ先の事を準備するのが今の僕の役割である。



日本にて

[ ~2022 三重バイオレットアイリス ]

8月末に欧州遠征から帰国して、その足で千葉県の高校生&指導者対象の講習会に向かい、鈴鹿に戻って国体東海予選を戦った先々週。

先週初めはMVIの練習が休みだったので、夏の終わりに少しだけ家族での夏休み。実家に戻って息子の4歳の誕生日を祝ったり、プールに行ったり、幼稚園の参観日に顔出したり。電車好きの息子は、欧州遠征から帰ると深海生物&恐竜好きになっていた。

週半ばからはMVIの活動再開。夜間の通常練習、スポンサー企業での講演、スタッフ会議。度重なる怪我からの復活を目指すユキ&ヨーコサノもトレーニングを奮闘中。育休中のエレナもいよいよ夜間練習で活動再開。そして週末は下呂合宿。ブルズ&アランマーレの皆さんと一緒に25分ゲームを何本も回した。日本リーグ勢、お互い切磋琢磨して日本のハンドボールシーンを盛り上げていこう。

今日からまた新しい一週間。茨城国体の組み合わせも決まった。朝から一週間のスケジュール確認。お昼過ぎまで先週末のテストマッチの映像を見直して、編集作業。午後からは梶原監督とのミーティング&少しだけ自分のトレーニング。そういや梶原監督とのミーティングに向かっていると仕事中のカノンとすれ違った。遠征帰りの翌日、チームの夜間練習は休みでも日中は通常業務を頑張っている選手たち。

「鈴鹿に戻って来た時くらいゆっくりしろ」と言ってくれる梶原監督。
「鈴鹿に戻ってきている間にたまには休め」と言う櫛田前監督。

ミーティング&トレーニングを終えて夜は家族での夕食。久しぶりに家族で焼肉へ行った。4歳になった息子はコブクロが気に入った様子だった。

今週は平日は鈴鹿でMVIの通常の活動。週末は奈良県での講習会を予定している。

あと10日くらいでまた鈴鹿を出ることになる。息子の誕生日&参観日を終えた途端、妻は僕が家を開ける日を指折り数え始めている。ニヤニヤしながら、「次はいつから行くんや」と…

今週もええ一週間にしよう。



三重バイオレットアイリス2018/2019シーズンを監督係目線で振り返ってみる

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本当に色々あった1シーズンだった。毎年、毎年色々あるが、今シーズンもエキサイティングでタフなシーズンだった。三重バイオレットアイリスの2018/2019シーズンを監督係目線で振り返ってみようと思う。

【プレーオフ】
いきなりだが、先ずはプレーオフの関して振り返ってみる。オムロン戦に関して、一言で表現するのであれば「無念」これに尽きる。前半はほぼゲームプラン通りの試合展開だっただけに後半立ち上がりの失速が本当に悔やまれる。一年間の集大成。一発勝負のプレーオフのオムロン戦は今シーズンの縮図のような60分だった。1シーズン通しての良い波も、良くない波も、60分の中に凝縮されていた。分かっているけど、ノーマークシュートを決めきるのは簡単でもあり、難しくもある。

【2つの大前提】
次に今シーズン全体を振り返ってみる。と、その前に大前提としてシーズン前から頭に入れておく必要のあることが2つあった。チームのメンバー構成(GKと右サイドをどうするか?)と自分自身の日本代表コーチ活動(不在期間をどうするか?)についてである。
GKと右サイドをどうするか?
一点目のメンバー構成について、昨シーズンから今シーズンにかけて引退者及びチーム退団者はゼロ。しかしGK高木が産休、右サイド島居がケガでリーグ開幕には不在。主力2名を欠く厳しい状況でのシーズンスタート。GKは岩見、花村。右サイドは当初、水谷、佐野、そして團あたりの併用を考えていた。

【三重バイオレットアイリス監督と日本代表コーチと】
二点目は自分自身の日本代表コーチ活動について、日本リーグ開幕前の殆どの期間と11月中旬からブレイク期間にチームを離れることになる。日本リーグ開幕までの4^9月まではアジア競技会(ジャカルタ)へ向けて、日本リーグブレイク期間はアジア選手権(熊本)へ向けて、レギュラーシーズン中以外の約130日、僕は鈴鹿を離れることになり、この期間は梶原BMにチームを託すことにしていた。社会人選手権は出場回避、国体&日本選手権の2つのトーナメントは梶原が指揮をとり、僕は日本リーグに集中させてもらうことにした。

【福井国体、そして日本リーグ序盤戦】
9月上旬、アジア競技会を終えてチームに戻った。直後に福井国体が控えていた。ここでは梶原がチームの指揮をとってくれた。僕はベンチに入りながら、チームのサポート役に回った。結果は初戦の福岡県(福岡大学)には大勝し、翌日の石川県(北國銀行)には大敗だった。福井国体を終えて、鈴鹿に戻りここまでチームを率いてくれた梶原からバトンタッチして本格的に僕がチームを観るようになっていった。そして、数日後には日本リーグが開幕。年内の10試合はチームのベースを作りながらの戦いが続いた。目先に勝利に当然拘っているが、「今シーズンこのチームはこうやって戦っていく」というベース作りも並行して行っていた。戦いながらチームを作っている。そんな感じだった。懸案事項の右サイドも森本と河嶋を右BPと右サイドをある程度自由に交代しながら回せるように二人をセットで投入したり、ルーキー團のスピードプレーを試してみたり、試行錯誤する試合が続いた。

【司令塔の離脱と前半10試合】
そうこうしていると、前半6試合を終えたところで司令塔の加藤も膝のケガで離脱。シーズンの残り3/4にあたる18試合を司令塔不在で切り抜けていく必要に迫られた。。11月に入って北國銀行、オムロン、SONYと勝負の掛かった上位チームとの戦いも3連敗。結局、前半戦10試合を終えて4勝5敗1分、この時点で6位。そしてアジア選手権の参加する為に、原、多田と僕はチームを離れた。

【日本選手権に向けて 救世主・梶原】
この期間にチームの立て直しを図ってくれたのが他でもない梶原だった。前半戦に作りあげたベースに則った上で、シンプルに目の前の相手を攻めることの大切さを説き、その徹底を図ってくれていた。アジア選手権を終えて日本代表組がチームに戻り、12月末の日本選手権を迎えた。シーズン前の予定通りこのトーナメントも梶原が指揮をとってくれた。日本リーグの前半戦で2連敗を喫していたオムロンに10点差以上の大差をつけて勝利を収めた。初の決勝進出を狙った準決勝の北國銀行戦では前日の大勝が嘘のようにボロ負けした。とは言え、3年連続の大会ベスト4進出を果たすことができた。

日本選手権後、梶原本人曰く「日本選手権前のチャレンジカップ(HC名古屋、SONYとの)を開催できたこと。実戦形式で指揮をとることができたことが大きかった」とのこと。実際にこの大会でSONYは優勝、僕が観ていてもそれは強く感じた。
日本リーグ後半戦に向けて
12月末、日本選手権後。梶原からバトンタッチを受けて僕が再びチームを指揮していくことになった。梶原とも話し合って、攻撃に関してはそのまま彼に見続けてもらう形で日本リーグ後半戦に向けて準備を整えていくことにした。良いものはそのまま継続していこうと思った。

1月は4週連続で週末2連戦が続き合計8試合が控えていた。右サイドの島居はリハビリに苦しみ戦線復帰に目処が立たず、運動量あるDFで何度もチームを救ってきた中田もこの時期にコンディションを崩して戦線から離れていた。普段の練習に僕や梶原が加わらないと6対6が出来ない年末年始の練習だった。

【この時に監督係が考えていたこと】
この頃に僕が考えていたこと。それは「リーグ後半戦プレーオフ争いを生き残る為どうしていくか?」「調子が悪い時にどう勝点を積み重ねていくか?」「その為には何が必要か?」だった。つまり「もう今日は調子が悪いからしょうがない」「自分の思う通りにいかないからしょうがない」ではダメだということだ。想定外のことが起きようが、思う通りにプレーができなかろうが、ここから先の戦いでは苦しい時にどれだけやり抜けるかが大事になってくる。

【心を整えるが8割】
上手くいかなくて精神的に追い込まれた時に、心を整えて、人の話を聞いて(戦術を頭に入れて)次のプレーでそれを表現できるか?上手くいっている時は当たり前にできていることを、精神的に追い込まれた状況の中でもやり切れるか?ここが勝負の分かれ目になってくると考えていた。こうした部分は数値化することが難しいが、直感的にそう感じていた。いくら戦術的なことや作戦を周りが授けても、それを遂行できる精神状態でなければ絵に描いた餅。時間、点差、対戦相手、仲間のメンバー構成、ベンチの向き、そういった事を常に頭に入れて最適の戦術を選択し、最高のプレーを表現する。その為には心を整えていく必要がある。

【戦術は6割】
例年、日本リーグまでの準備期間に個人能力向上系のトレーニングを徹底的に行うのだが、今シーズンは先に(前半戦を通して)チームの型を作ることを優先した。そうせざる得なかった。後半戦は戦術的には6割くらいのフレーム(因みに前半戦は8割くらいのイメージ)を作りながら、勝負ところで選手が自分たちで決断して乗り越えていけるようなアプローチに切り替えていった。日々の練習でもルールや状況設定が変わるメニューにシフトさせていき、常に状況判断や意思決定が必要な状況を選手にぶつけ続けたい。徹底的に個人の強化を図ることにフォーカスしていった。とは言え、こうしたアプローチに即効性はあまりない。それでも勝負ところでこうした部分が必要になってくると信じていた。前半戦に作った型を後半戦に伸ばした個人能力でやりきることができれば、どこかで爆発してチームは一気に加速する。それが間に合わなければプレーオフにたどり着けない。それくらい割り切って後半戦は自分たちの能力高めていくことに集中した。

【苦戦の1月、4週連続2連戦】
1月も暫くは苦戦が続いた、年明けの広島メイプルレッズ戦では前半一時8点リード奪いながらもじわじわと追い上げられての痛恨の逆転負け、しかもこの試合でここまで好調を維持していたGK花村が眼球を痛めて数試合プレー出来なくなった。ここで奮起したのがGK岩見だった。ホームでのオムロン戦、勝負のかかったアウェーでのブルズ戦をたった一人でゴールを守り抜きチームを勝利に導いてくれた。この2連勝で波に乗っていけるかと思った矢先の熊本でのHC名古屋戦ではまさかの1点差負け、更には1月末の大阪ラヴィッツ戦ではドロー。正しく崖っぷちの状況が続いていた。

【怒涛の6連勝、3年連続プレーオフへ】
しかし選手たちはこうした時も結果、内容、チーム、自分と正面から向かい続けてくれた。涙を流しながらの激論を重ねて、それでも前を向いて歩みを進めてくれた。上手くいかない試合での学びがあったから1月末から3月上旬にかけての6連勝に繋がった。1月の敗戦や引分けと正面から向き合うことなければ、2月頭の大阪ラヴィッツ戦で後半残り20分からの8点差をひっくり返した逆転勝利はなかった。

2月上旬の福岡でのSONYとの一騎討ちに勝利した事で、もう駄目だと諦め掛けていた周囲の空気が一変した。(やっている僕らはずっと自分たちで次第で何とでもなると思ってやっていたが)逆にここからが難しいもので、実質プレーオフ確定だの何だの、周囲の風向きが変わった。油断大敵である。こう言う時が一番危ない。勝負は下駄を履くまでわからない。僕らはまだ何も手にしていない。「ここからプレーオフを決めるまでにもう一山も二山あるよ」チーム内では盛んにこうした声が飛びかっていた。

今シーズンの日本リーグのプレーオフ争いを加熱させた要因の一つが、李美京を補強した飛騨高山BB岐阜だろう。しかし僕らとの第3戦を前にエース李はチームを退団し韓国へ電撃移籍していった。得てしてこう言う時こそチームは纏まるものだ。警戒していた通り、この時の飛騨高山BB岐阜は素晴らしい集中力を発揮。最後の最後まで一進一退の攻防が続き、多田のノータイム7mtで何とか一点差で勝利した。

そして翌週のHC名古屋戦、この日は条件次第でプレーオフ進出が決まる可能性がある試合だった。終始相手にリードを許す展開が続いたが、最後の最後で万谷が逆転打をねじ込み、辛くも一点差で勝利した。僕らの試合と並行して行われていたSONYが敗れた為に、僕らの3年連続プレーオフ進出が確定した。過去2シーズンは最終戦で共にHC名古屋に勝利してプレーオフを決めた。今シーズンは最終戦を待たずにプレーオフを決めることができた。しかし、やりきったと言う感覚は全くなく、今年こそプレーオフで勝利を掴みとろう。チーム全体がそう言うムードに包まれていた。

個人的にはシーズン終盤までプレーオフ争いで凌ぎを削りあったチームの分まで、やってやろうと言う気持ちが強かった。特に飛騨高山BB岐阜、HC名古屋とは東海のクラブチーム勢で切磋琢磨してと言う気持ちでやっているし、今シーズンは初めてシーズン終盤まで3チームともプレーオフ争いに絡んでいたので、尚更その気持ちは強かった。結果的にプレーオフでは前述の通り、今回も勝利を上げることはできなかった。まだ何かが足りない。

【4つのターニングポイントとそこからの学び】
今シーズンのターニングポイントになった試合はいくつかある。10月末に四日市で大敗した広島メイプルレッズ戦、年明けの8点リードから逆転負けを許した広島メイプルレッズ戦、熊本で1点差で破れたHC名古屋戦、1月末の引き分けに終わった大阪ラヴィッツ戦。特にこの4戦(敗戦や引き分け)からチームとしての学びが多かった。この4試合はいずれも、苦しい展開になった時に踏ん張りきれなかった試合だ。

年末年始に感じていた、上手くいかない時にも勝点を積み重ねていくって部分。4つのターニングポイントからの学び、正面から向き合うことがなければ終盤の6連勝はなかった。6連勝中も決して簡単な試合ばかりではなかった。むしろ苦しい試合の方が多かった。大逆転の大阪ラヴィッツ戦、1点差の接戦を制した飛騨高山BB岐阜戦、HC名古屋戦とまさしくそんな試合展開だった。それでも選手たちは苦しい展開の時こそ、声を掛け合い、勇気を出して前を狙い続けて勝利をもぎ取ってくれた。

【若い力の台頭】
シーズン前の懸案事項だったポジションでは岩見、花村の両GK、右サイドに團、森本、センターに林と新しく入った選手がきっちりと役割を果たしてくれた。また後半戦の快進撃の影の立役者はDFとFBで存在感を示した細江だった。森本や細江の台頭は当初シーズン前の構想とは違う形だったかもしれないが、競争と協力の中で自然にハマっていった感がある。

【存在感を示した主力陣、修羅場をくぐり抜けてきた彼女たち】
またこうした新しい力を引き出しながら、シーズン終盤戦の大事な時にチームを牽引してくれたのは万谷、原、多田、近藤ら主力陣なのは言うまでもない。過去2シーズンプレーオフ争いの数々の修羅場を潜り抜けてきた彼女たちは観ていて本当に頼もしかった。

【今、監督係が考えていること】
終わってみれば、レギュラーシーズン24戦13勝9敗2分勝点28(前半戦10戦4勝5敗1分、後半戦14戦9勝4敗1分)で駆け抜けることができた。平均得点に目を向けると前半戦19.2点、後半戦23.8点と4点以上、得点力を上積みすることができた。これは日本選手権以降、攻撃をほぼ任せていた梶原の存在が大きい。

バイオレットの監督とおりひめJapanのコーチの両立はもちろん簡単ではなかったが、やり甲斐があった。梶原との二人三脚はシーズンが深まるにつれ、面白味と手応えを感じていた。この部分は選手、梶原、そしてスタッフに感謝しても仕切れない。

プレーオフの切符を掴み取るまでの経験全てが選手とクラブの財産。いい時ばかりではなく、苦しい時に勇気を持ってチャレンジできるか、一致団結できるか。ごく当たり前のことだが、後半戦になるにつれて我々が大切にしているそういった部分を選手たちがプレーで表現してくれるようになった。心を整えること、選手の人間的な成長がチームの勝利に繋がっている事を再確認できた。プレーオフ単体では純粋にシュートを決めきることの大切さと難しさを痛感した。

春先から種まきしていた速攻やスカイプレーなどリーグの後半戦の苦しい場面で自然で選手たちがコートで表現できた。前半戦にチームのベースを作り、後半戦に個人能力を伸ばす方向でやってきたことが、1月末以降に勝負がかかった場面で少しずつプレーに出始めた。
今シーズンも決していい時ばかりではなく、むしろ苦しい時の方が多かった。そんな時ホームゲームでの大声援が本当に力になった。アウェーゲームでも応援に駆けつけてくださる方の存在に勇気を頂いた。プレーオフでは初勝利の喜びを共有することは出来なかったが、3年連続プレーオフ出場を果たせたのは選手の努力と多くの方のご支援があればこそ。

一年間本当にありがとうございました。