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岐阜市立陽南中学校へ ~総合的な学習の時間「とびら」のインテンシブ学習~

[ 日々 | 講師 ]


【4日前に決まったピンチヒッター】
10月2日、岐阜市立陽南中学校へ。総合的な学習の時間「とびら」のインテンシブ学習で、講師を務めさせてもらった。今回、もともと予定されていた講師の方が都合により来られなくなり、急遽ピンチヒッターとして声をかけていただいた。最終的に登壇することが決まったのは、開催日の4日前。

なかなかの急展開。そこから、今回の調整役をしてくださった二宮先生と何度も電話で打ち合わせをした。

どんな話をするのか。どんな体験をしてもらうのか。短い準備期間の中で、いろいろと考えた。そして、最終的に形が決まったのは、なんと当日。前半は講演。後半はハンドボール体験。そんな2時間になった。

【自分の近未来を考える】
今回の「とびら」は、総合的な学習の時間の一環。多様な職業の社会人と関わり、講話や体験学習を通して、生徒たちの興味や関心を広げていく授業。

今回参加してくれたのは、中学1年生から3年生までの32人。ハンドボール部の子もいれば、体育の授業で少しやったことがある子、ハンドボール自体が初めての子もいる。そんな32人に、最初に問いかけた。

「自分の近未来、なりたい自分を考えてみよう」
今の学年が終わるとき、どんな自分になっていたい?
陽南中学校を卒業するとき、どんな自分になっていたい?
20歳のときは?
30歳のときは?

まだ中学生。20歳や30歳なんて、ずっと先の話かもしれない。でも、自分がどんな人間になりたいのか。どんな人生を歩みたいのか。少しでも考えてみることは大切だと思う。


【櫛田亮介の10歳から49歳まで】
そこから、自分の話をした。10歳から49歳、現在まで。自分自身の人生を振り返りながら話した。

小学生の頃は野球。中学生も部活は野球。ハンドボールは体育の授業で少しやっただけ。高校生になって、ゆるゆるとハンドボールを始めた。当時は大きな目標なんてなかった。なんとなく毎日を過ごしていた。何でもテキトーにやり過ごしていた。

中部大学に入っても、最初はユニフォーム係。チームメイトに恵まれて4年生になって、なんとかレギュラーになった。建築学科の勉強は程々。社会人になった自分の具体的なイメージはできなかった。真剣に将来と向き合うと不安になるから避けてさえいた。

そんな自分が、ハンドボール選手になった。大学卒業後に6年連続日本一のチームのホンダに入団した。チームに何人もの日本代表選手がいて、さらに世界ナンバーワン左腕とも言われるストックランが同じポジションにいた。今で言えばギゼルと同じポジションってこと。

どこかで諦めてしまっていた。これは無理やと。チームはプレーオフ。日本一を決める決勝戦。僕はいつも応援席で太鼓を叩いていた。チームは日本一。でも嬉しいけど悔しい。毎年そんな気持ちだった。

そうこうしているとホンダが日本リーグから撤退することが決まった。ハンドボール選手を諦めて社業に専念する道もあった。安定は捨てがたかった。それでも人生一度きり。退路を経ってドイツへ渡った。

29歳でドイツ4部のチームに入り、1年目で優勝できた。3部昇格。順風満帆だった。ところが2年目。左膝を脱臼する大ケガ。ドクターからは引退を告げられ、チームからも契約を切られた。世界中のどこにも、自分の居場所がないと感じる日々だった。

朝起きたら何もやる気がしない日もあった。それでも、諦めなかった。意地だった。31歳。2年間、何があっても諦めないと決めてリハビリを続けた。経済的にも苦しくなった。ペットボトルの水を買うこと躊躇って、空のペットボトルに水道水を入れてリハビリをしていた。携帯電話は途中でプリペードになり、最後は解約した。

そんな生活をしながら、それでも現役復帰を目指した。

なぜそこまで頑張れたのか。ドイツ、日本と国を超えて多くの人が手を差し伸べてくれた。途中から、「もう自分一人で膝じゃないなぁ」という気持ちが生まれてきた。自分だけのためではなくなった。

2年間の期限が迫ってくる中、1年11ヶ月10日経った時に北陸電力ブルーサンダーが拾ってくれて復帰できた。その後、32歳から37歳までは選手を続けながらコーチも兼任した。チームでは最年長。しかも、チームは万年最下位。そんな中で東京五輪が決まった。

「現役選手を続けているか限り東京五輪を目指して」とは口では言うもののもう現実的には難しい。

そんな時に三重バイオレットアイリスから監督としてオファーがきた。石に齧り付いてでもって現役にこだわってきたここ数年だった。

【指導者として東京五輪を目指してみよう】
あんなに拘っていた現役選手をスパッとやめて指導者に転身した。2015年37歳の時だった。三重バイオレットアイリスの監督になり、選手やスタッフの頑張りで少しずつクラブは強くなり、プレーオフに行けるようになった。その後、2027年から女子日本代表のコーチを兼任するようになった。コロナで1年延期されたが東京五輪を経験させてもらった。

そして現在は中部大学へ。37歳から49歳。指導者として今を生きている。これまでの経験を、若い世代へ届けたい。

【人生は予定通りにいかない】
こうやって自分の人生を振り返ってみると、最初から今の人生を思い描いていたわけではない。10歳の僕は、49歳の自分が中学生の前でこんな話をしているなんて、もちろん知らない。野球をしていた少年が、ハンドボールを始める。なんとなく大学生活を送っていた人間が、ハンドボール選手になる。

日本一のチームでプレーする。ドイツへ行く。大ケガをする。引退を宣告される。そこから復帰する。選手から指導者へ。日本代表のコーチとして東京五輪へ。そして今、大学で若い選手たちを指導している。人生は、予定通りにはいかない。

だからこそ、その時、その時で、自分はどうするのか。そこが大切なんだと思う。

【届けたかった2つの想い】
今回、陽南中学校の生徒たちに一番伝えたかったのは、この2つ。
「自分の人生の主役は自分」
「自分の人生を本気で生きる」

誰かに決めてもらう人生ではなく、自分で考える。自分で選ぶ。自分で動く。もちろん、失敗することもある。思い通りにならないこともある。大きな壁にぶつかることもある。

中学生のみんなにも、これから先、いろんなことがあると思う。進路を決めるとき。何かに挑戦するとき。失敗したとき。自分が何をしたいのかわからなくなったとき。

そんなときに、「自分の人生の主役は自分」「自分の人生を本気で生きる」と言うことを、少しだけ思い出してほしい。


【最後はハンドボール】
そして後半は、ハンドボール体験。ここはシンプルに。覚えてもらったルールは2つだけ。

「3歩、ドリブル、3歩は自由に動くことができる」
「シュートは6mラインの外から打てる」

これだけ覚えてもらって、あとは実際にやってみる。パス。シュート。そして最後はゲーム。

ハンドボール経験者も、未経験者も一緒になってボールを追いかける。最初は少し戸惑っていた子たちも、どんどん動けるようになっていく。パスがつながる。シュートが決まる。自然と笑顔が増えていく。気がつけば、体育館いっぱいに楽しそうな声が響いていた。

【2時間のピンチヒッター】
開催日の4日前に決まった、今回のピンチヒッター。準備期間は短かった。調整役を担って下さった二宮先生と何度も電話で打ち合わせをした。準備期間は短くても、電話越しから、ラインから、二宮先生の熱意が伝わってきた。生徒たちの為に少しでもいい時間にしたい。その為にできることは全てやる。そんな想いが伝わってきた。当日も二宮先生と一緒に考えながらつくった2時間だった。

そして最後は、32人の笑顔。

僕自身も、たくさんの元気をもらった。ハンドボールを知ってもらうことも大切。スポーツの楽しさを感じてもらうことも大切。でも、それ以上に、今回の時間が、みんなが自分自身の人生を考える、小さなきっかけになってくれたら嬉しい。

「自分の人生の主役は自分」
「自分の人生を本気で生きる」

陽南中学校のみんな。2時間、一緒に過ごしてくれてありがとうね。今日の話が、いつかみんなの人生のどこかで、少しでも役に立てば嬉しいです。また、どこかで会いましょう。